日本国と新興宗教

日本から逃げましょう

不幸の科学 ~せいこうなとけい~

ドキドキ ドキドキ    🏫 ☀️


これから大川隆法様と争います
大川隆法て誰?」そんな人は知らないと言うあなたしっかりしてください インドの王子様で中道説を唱えた仏陀(ブッダ)さんですよ 幸福の科学に信者数を調べたら創価学会が827万世帯で幸福の科学は1100万人と圧倒的な信者数を誇るそうだ
下記に時間があれば読めるように貼付しました



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「この世は3次元を説明します1次元は点と点で2次元は点と点がつながり線で3次元は立体的になります つまりこの世は3次元なのです」「わ か ら な い」って実際、高校の同級生とお茶した時の会話でした
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ビビビー いきなりエバンゲリオン画像ですが本物の神様を造らなければならないので皆さんで回答者(Respondent)になってください

大川隆法総裁について私は何を書けるかと姿勢を正して、日本国民は1/10人幸福の科学ユートピアを目指して集まりました
しかし公明党(創価学会)のように永田町で1議席もなく代議士先生として立つ事は現在もできていません 東大卒業後に就職活動で総合商社に入社してニューヨーク駐在中の28歳、アメリカで光を浴び神様になった男性と通るはずです 出版や映画と伝導活動して御布施は高いって聞きました 同東大生のきょう子様と離婚をして早稲田大学を卒業した超美人と再婚したエル・カンターレと言う大天使を思い付きました

🗾お茶の話に戻ります この会話は幼少から塾に通い進学校を目指し、バンド活動する大学生の子どもを持つなんと40代の女性たちです

分からないと言うので偉そうだったかなと思っていると横にいた宗教団体を早くに短大時代参加していた女性がためらう事なく「あッそれセレブの遊びだから」と審判旗があげられました

この世は三次元の本に感動して純文学をいくら読み気取ったって生きて死ぬまでにやって来るケガを解決する訳はなく問題の深刻さを寝転び理解できたことに感動したので、他と違う「きた(好機)!」幸福の科学は信じられると精舎に行きRペンダントを希望したのです 御値段は言えないと信者さんに言われお金を掛けたいことが別にあったのでいちどの訪問者でしたが歯科夫人の奥様たちを白いテーブル(お金持ち)と椅子にセレブを見たので確かに謙称していけます

神様の宗教団体はいない現象がおきているのです それではどこにあるのでしょう

正心館にメールしました
「光りあれと!」と言うエホバの息子がイエス・キリストで唯一だと言うので伝導は終わりではないのでしょうか 気になる点がもうひとつ、全てはキリストから枝分かれしていると言うので大川先生は「我こそは仏陀である」と講話されてもキリストの下にいらっしゃいます キリストの下に大川天使と曲げられません 矛盾していますので伺います

返信はありませんでした

神(エホバ)は悪魔なのだと映画はトム・ハンクスキアヌ・リーブスを使い簡単にペテン師だととどけました

そこで日本国のお奨めは大川総裁ですが人間は仏の子でみな神の子なのだと世界中でいい、「神は悪魔たちで人間は悪魔たちだ」と言いませんでした 神が創造主でありサタンならイエス・キリストもサタン(悪魔)だと理解する必要を訴えます!

修行した姿は嘘っぱちで何をしてもキリスト信仰で悪魔は悪魔に救われます

あなたはどう感じますか

イエス・キリスト
私を愛するものだけ永遠の命は与えよう

大川隆法総裁
キャッチコピー
「我こそは悪魔である」



いいたいことはこれだけで退いてよいでしよう



箇条書きに近いと思いながら本題を述べます 神の時代じゃないので人間を型(新しい自由)にはめないといけないのです 究極もしくは311震災で人類は復興より全員で死に向かえばよかったのもしれない 国会議院さんが名字を日本人と朝鮮人を一緒にした事で日本国は政経で取り返しがつかない不具合が発生していたのです 誤魔化して死ぬのもよいとあれば逆に株を上げることになります 若きウェルテルの悩みのように神を止めるべきか造るべきか 国会議院は宗教法人を廃止して下さい 議員会館こそ精舎なのでした




# 仏 蛇
紀元前5~6世紀頃インドの北部(現在のネパール)の釈迦族の王子として生まれたお釈迦さまは幼いころから何不自由のない暮らしを送っていました しかしいつしか「生まれてきた者は、年老いて、病気にもなり、そしていつか必ず死んでしまう」という誰一人として逃れることのできない問題に深く思い悩むようになります

29歳となったある日お釈迦さまはこれらの苦しみの解決方法を求め修行をする決意を固めました 王子としての立場や地位を捨て妻や息子からも離れ全てのものを捨てて旅立つこととなったのです

お城を出たお釈迦様は2人の仙人を訪ねて教えを乞います しかし納得する答えを得ることはできませんでした それからは自ら答えを見つけようと心の乱れを抑える苦行、断食の苦行、呼吸を止める苦行など、過酷な修行を自らに課し続けます ところが体が極限までやせ細り骨と皮だけの姿になるまで苦行に励んでもなお苦しみを解決することはできなかったのです

苦行を止めたお釈迦さまは菩提樹の下で静かにこれまでを振り返ります 恵まれすぎていた王宮と苦しい修行という両極端の生活 そしてそのどちらでもない今この瞬間の静かな瞑想―― このとき「極端な生活は極端な考え・心を生み出してしまう」と気づきました これをきっかけについに苦から解き放たれた"さとり"の境地に達しブッダ(=さとりを開いた人の意)となったのです 城を出て6年が経った12月8日お釈迦さまが35歳のときでした

この"さとり"の内容をかつて一緒に修行した5人の僧侶に伝えたお釈迦さまはその後も45年間に渡り各地方へと教えを説いてまわりました そして80歳で死の床に伏す瞬間まで真理を説き続け多くの人々を進むべき道へと導いたのです
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希望のある日が来るまで

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